2013年2月3日日曜日

僕の考える英語学習


英語学習に関してはおびただしいほどの学習指南書が世に蔓延っていて、更に専門家がそれぞれ好き勝手なことを言っている。本屋に行けば「英語は前置詞だ」とか、その隣には「英語は動詞だ」とか、「英語はこの100のフレーズを覚えれば喋れるようになる」とか、売れるためだけのセンセーショナルな題名が目立つ。もちろん、そういうのは全部嘘だ。売りたいがためにそういった嘘をついているのである。そういった類の本は、楽して言語を喋れるようになりたいと思う人ホイホイなので注意。

この記事では、自分の経験を参考に、どういう英語学習が一番効果が発揮されるのか?ということを淡々と書いていきたい。

1.リーディングの向上
僕は音読主義者だから、もしくは恩師が音読主義者であったから、中学校の頃の教科書は何度も音読して覚えた。厳密に言えば覚えたのではない。 音読をしすぎたので、冒頭の数語を口に出すと歌の様に次々と言葉が出てくるようになっただけである。そうして「体に染みついた」ことで、英語のリズムや、 鼓動、息づかいが段々分かってきた。文法問題は圧倒的に得意になった。一つ例を挙げたい。例えば、「Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister, ・・・」という文を音読で覚えたとする。そうすると、「Aliceという三人称の次に来るのはwasであり、wasの次に来るのは動詞の-ing形であり、beginの次にはtoが必要で、「疲れた」を表すのはget tired・・・と言った文法規則或いは英語の言い回し、無意識の中で体の中に染みこませることができる。この文を吸収した者は、*Hanako were…とか*She was buy…などのような、全く別の文章の中でも、間違いをすることが少なくなる。体に染みこんでいる文章が多ければ多いほど、「英語が分かってくる」のだ。 音読して多くの英語の文章が体に染みついている人には、英作文などのアウトプットも容易いことになる。体に染みついている文章を少し変えたりするだけで文 章が書けてしまうからだ。
大量の文章を読みこんでいればいるほど、自然と間違った英文に対して違和感を持つようになる。大量の文章を読みこんでいると、英文法の本には決して載っていない、ネイティブが感じる目に見えない心の文法が分かってきて、英語の名文などを読んでも手に取るように文章を感じることができる。
僕自身は高校時代に総合英語 Forest(フォレスト)を片っ端から頭の中に叩き込み、英語力向上に大いに役に立った。文法はことばの骨組みだから、文法が分からなければ文章がまるで入ってこないからだ。
ただ、一つだけ盲点だったのは、フォレストなどの英文法書には、その文法が醸し出す独特のニュアンスの説明がない。これでは心の琴線に触れるような名文を楽しむことができないし、言語を数学のパズルのように感じていてもしょうがない。
音読で使う文章のレベルを少しづつあげていけば、同時に英単語を覚えることもできるし、文法の細かなニュアンスも分かってくる。それほど、音読は素晴らしい言語学習方法のうちの一つなのだ。

2.ライティングの向上
日本の英語教育では、ライティングやスピーキングの能力を上げることが非常に難しい。これは、学校に頼らず、全て自分でやらなければならないと言っても過言ではない。ライティングの力を伸ばす一番の方法は、自分で英文を書いて、それを添削してもらうこと
だ。音読で培った英文の引き出しを、ここでアウトプットすることになる。英文を書く際、自分のインプットが足りない場合は、英辞郎などを参考にして書くと良いだろう。豊富な例文があるので、文脈にあった単語や熟語を選びやすい。
しかしながら、添削してもらえる人や機関があるというのは非常に恵まれており、ほとんどの人はそういった環境にはいないかもしれない。そういう時には、自分の英語をネットユーザーが添削してくれるLang-8を利用すると良いかもしれない。また他の例としては、他人のライティングを片っ端から書いて音読し、自分のものにしてしまうことだ自分の中の英文の引き出しが多くなれば多くなるほど、ライティングは楽なものになっていく。

3.リスニングの向上
リスニングの向上には、英語の発音の仕組みを知ることがまず重要かも知れない。例えば、Did itをディドイットではなくディディットと組み合わせで発音するリエゾンや、Letterのttが上あごを舌で叩くような音に変化することなどだ。
しかしながら、もっと重要なことがある。
そもそも読んでわからない英語を聞いても分かるわけがない。ここが多くの人が陥っている罠ではないかと思うのだが、圧倒的なインプットがあれば、文脈の推測や、文法力、決まった言いまわしを知っていることで、ほとんどのリスニングはできるだろう。よく、『発音できない音は聞き取れない』などというが、これは実は半分当たっていて半分はずれている。確かに発音できない音は聞き取れないが、先ほどの文脈の推測などの力でリスニングをカバーできているのだ。その証拠に、Good morningは、多くの場合、Goob morningと発音されている。日本人のほとんどがその事実に気付かないが、Good morningと脳内変換し、聞き取れているではないか!

4.スピーキングの向上
これもまた、日本における英語教育では非常におろそかにされる分野であり、ほとんどの日本人が苦手とする分野だと思う。これもまた、添削してくれる人がいつも傍にいればいいのだが、中々そうはいかない。だから、自分なりに『環境問題について今から喋ってみよう』などして、言いたいことが言えないなど詰まった時に、辞書を引いて言いたい表現を覚えていくという方法が結構有用だと思う。
また、ライティングの向上と同様だが、有名な人のスピーチやインタビューを全て丸暗記してしまうというのも手だ。これでスピーキングの言いまわしのストックが増え、スピーキングに強くなることができる。
僕がアウトプットに関して言えるのは、子供のようにネイティブの表現を丸パクリしていくのがベストではないかということだ。そうして表現を覚えていく中で、自分で自由に英文を作っていくような力が自然とついてくるのである。

5.発音の向上
発音はどれだけ歳を取っていても絶対によくなる。成人した日本人が英語の発音を習得するのは不可能だ、という話を友人などからたまに聞く。しかし、発音(完璧ではないにしろ)を習得する方法は確実に存在するし、ないというのなら、19世紀からの歴史を持つ調音音声学に対する冒涜ではないのか。その方法とは、簡単に言えば、調音位置・方法に基づきながら、発音の基礎を徹底的に固めることである。聞いてすぐ発音できるようになるというのは、並大抵の業ではない。中津燎子は、著書「なんで英語やるの?」の中で、恩師であるJ・山城氏に受けた発音レッスンの事について綴っているが、彼の一番初めのレッスンでは、アルファベットの「A」の練習から始まり、結局1時間中「A」の練習のみで終始したそうである。これは、映画「My Fair Lady」の中で、言語学者ヒギンズ教授が訛りのひどい花売り娘イライザに容赦ないやり方で発音矯正をしたのとなんら変わりの無いことではないか。同じ言語を話すイギリス人でさえ、別のアクセントを習得するのは並大抵の努力が必要なのである。
この明白な例から、赤ん坊の様なスポンジの脳を持っていない私達は、やはり発音も徹底的に学ばなければならないという事がわかる。ある種の天才を除き、成人した人間が外国語を聞き流すだけで発音ができるようにはならないのだ。しかし、訓練さえすれば、相手の理解を妨げない程度の発音にまでは、誰でもできる。その方法とは何か?
まず、発音記号とその音声の結びつきを学ぶ。英語はスペリングと発音が一致していないことが多いから、発音記号の学習は必須である。そもそも、日本語の「あ」に相当する音が英語にいくつもあることを、訓練なしで聞き分けられる人がいるだろうか。
書店に行けば、発音記号の説明と、英語の母音と子音、そしていくつかの単語の発音を収録しているCD付きの本があるから、それを買うか、インターネットで検索すればそういうサイトはいくらでも出てくる。まず「a」から始めるのだ。一回聞いて終わりではない。英語で使われている母音は全て日本語にはないものだ。毎日何回も聞いて、何回も発音し、できたと思ったら自分の音声を録音して自分で聞いてみて、CDと同じだったら合格だ。母音と子音が終わったら、後は単語である。日本語話者は英語の単語に母音を 挿入する癖があるので、「Dog」とか「Cat」の語末の子音を発音できるようになるまで何回も練習するのだ。これが終われば、実際の文章の発音の練習に 入る。ここまで来ると、発音の例外のパラダイスである。Good morningの発音が、Goob morningと発音されていても、うろたえてはいけない。例外は永遠に終わらないのだ。
発音が良くならないのは、正しい勉強法で発音を勉強してないからだ。リスニングを10000時間しても、発音は一切よくならない。理由は明白で、発音の練習をしていないからだ。聞き流しで発音が良くなるというのは甘ちゃんの考えであり、怠惰な人間が為し得るどうしようもない行為である。