2013年11月30日土曜日

学びの極意:アインシュタインが息子に伝えたこと

ネット上でアインシュタインが息子に送ったとされる手紙の記事を見つけたので紹介します。


" 楽しくて時間が過ぎることも気付かないぐらいに熱中している時、それが最高の学びの瞬間だ。"

1915年、36歳のアインシュタインは戦乱のベルリンに住んでいた。一方別居中であった妻ミレヤ、また二人の息子ハンス・アルバート・アインシュタインとエドワード・テテ・アインシュタインは、比較的安全なウィーンに暮らしていた。その年の11月4日、アインシュタインは一般相対性理論に関する二枚の論文を発表し、瞬く間に世界に名を轟かせる有名人となった。そして、アインシュタインは11歳のハンス・アルバートにある手紙を送ったのだ。
親愛なるアルバートへ
昨日、おまえの手紙を受け取り、とても幸せだった。もうおまえが二度とこんな手紙を書いてくれないんじゃないかと不安になるぐらいだったよ。お父さんがチューリッヒに住んでいた頃、おまえは自分がチューリッヒに来るのは決まりが悪いと言っていたね。だから私はどこか別の、誰もおまえとお父さんを邪魔しないような場所で一緒に住んだ方が良いと考えている。そうすれば毎年お父さんたちは一緒に過ごすことができるし、おまえは自分を愛してくれるお父さんを近くに持つことができる。お父さんから多くの良いこと、美しいことを学ぶこともできる。それは他の人からは学べないものだ。お父さんが達成した大変な努力が必要な偉業は、他人の為ではなく、お前たち二人の為に成されたものだ。最近、お父さんの人生の中で最も美しい仕事を終えたのだ。おまえが大きくなったら、その事について教えよう。お父さんはおまえがピアノを弾くことを楽しんでいると聞いてとても嬉しい。ピアノと工作は、おまえの歳では最高の趣味だと思っている。それは学校より大切なものだよ。何故ならそういったものは若い人間に合っているものだからだ。ピアノの弾く時は、好きな曲を弾きなさい。先生にそれを弾けと言われなくても。楽しくて時間が過ぎることも気付かないぐらいに熱中している時、それが最高の学びの瞬間だ。お父さんは時々自分の仕事に無我夢中になって、お昼ご飯を忘れることもあるんだよ....。

お父さんより。



The Secret to Learning Anything: Albert Einstein’s Advice to His Sonより



2013年11月28日木曜日

「アジアは物価が安い」の嘘






アジア移住関連の記事等を見ていると、アジアは物価が安いから給料が低くても十分生活できるなどと言う、甘い文句が綴られているのに気づく。

でも、これは誤解を招く表現である。物価が安いからといって、日本の様な質の高い生活ができるわけではない。確かに現地の自然の恩恵を生かした農作物、魚など第一次産業によって生産されたものや、土地そのもの、水道代等は確かに安い。


しかし、第二次、第三次産業によって生産されるものやサービスについては、世界中どこも値段は変わらない、というよりむしろ日本より高い。

例えばタイで、ホンダのフィット(タイではJAZZというモデルで販売されている)の価格は約200万円程度で、日本より高い。医療に関しても、日本と同等の医療を受けようとすれば、日本より確実に保険料は嵩む。


皿、コップ、箸、机、電卓、パソコン、すべて日本同等のクオリティを求めれば日本以上に高くなるのだ。タイで売られている皿やコップは、確かに日本より安いかもしれない。しかし、それ相応のクオリティだということである。箸なんぞ鍋をつつけばひん曲がるし、電卓はボタンがすぐ壊れ、ペンは1週間で書けなくなる。だからこそ日本製にはブランドがある。壊れないし、長く持つ。
 

それなのに、日本人はタイ製の箸が数円で売られているのを見て、「物価が安い」という。物価が安いのではない。日本製は高すぎて買えないのだ。日本の様な先進国では、モノの品質はある程度必ず保障されているものだと考えるから、モノの品質ではなく、値段を見がちなのだと思う。数円の箸とは、結局、その程度のクオリティなのだ。
 

世界はフラット化されており、物価が安いなんてことはない。日本製の車、箸、コップ、パソコン、ドイツ製の掃除機、スウェーデン製の家具は世界中どこでも値段は変わらない。お金がないから、日本製が買えない。お金がないから、医療が受けられない。お金がないから、安い服を着る。お金がないから、海賊版でDVDを見る。それだけのことなのである。

確かに、アジアは物価が安いから少ないお金で十分生活できるかもしれない。しかし、それだけ生活のクオリティも下がるということなのだ。つまり、アジアに求めるのは物価の安さではない。リラックスした生活、ストレスフリーの人々である。アジア移住の幻想を書いている記事が多いが、アジア移住とはつまり、「生活の質を落とすこと」と、「リラックスした生活」のトレードオフ関係にあるのである。

2013年11月10日日曜日

私がタイで外資系に転職した理由


●外資系への転職
タイに来て早くも1年近くが経とうとしているが、私は早々、そもそもの目的であった外資系の企業に転職した。大学を卒業して以来、やっと自分の思い描いていたキャリアのスタートラインに経てたという気持ちである。それまでの日本及びタイにおける日系企業での就労経験は、ギャップイヤーであり、ポジティブな空白期間であり、そして外資系を目指す意思の再確認期間であった。

●タイでのショック
私が日本を離れてタイに来た理由は、日系企業の文化が苦手で心に異常をきたす程嫌だったからだ。タイに来て意外だったのは、そういった思いを持ってタイに来ている人が少数派であったことだと思う。彼らは日系企業特有の体育会的な、義理と人情を重んじる人間関係についてある程度の理解を示しており、それに対するネガティブな思考が日本を出る原因の一つにはなってはいない。むしろタイにおいても日系企業で働くことを望んでおり(その理由には英語ができないからというのも多数を占めるが)、日系企業でのキャリアを望んでいる。日系企業を差し置いて、特に外資系こそが目標なんだ、と考えている日本人は、少なくとも私の周りにはいなかったように思う。それ故、タイにおいて日系企業批判とは言わないまでも、日系企業特有の文化について語るとき、周りの先輩からは息の根を止める勢いで私の意見の芽を摘もうとする姿勢を感じたものである。彼らがタイに来る理由は、あくまで日本における経済の停滞感、閉塞感への嫌悪感もしくはリラックスした生活及び仕事を求めてやって来ているのであり、企業が有する日本文化に関して特別な感情は抱いてはいない。特に30代、40代、年齢が上に行く程この傾向は強いと思う。現地採用において、日本である程度経験を積んでタイに来ている場合、これはつまり日本において日系企業での経験を積んでいるわけだから、日本的価値観に染まっているというのは自然な事なのだ。20代でタイに来ている場合、日本での就労経験も浅いから、そこまで日系企業的価値観に異常な執着を持つ事はないにしろ、特に外資系に行きたいという人は少ない。

●少数派であることの認識
こういった現実を目の当たりにして、また自らタイにおいて日系企業に勤め、改めて外資系へのモチベーションを高まらせた後で、いよいよ私は外資系に行かなければならないと思う様になった。それに伴って、年配の方から皮肉を言われるようにもなった。日本人がいない会社は大変だぞとか、外資系は結果を出せなかったらすぐにクビだぞ、一方日系企業はそう簡単にクビにならないぞとか、外資系でも飲み会はあるぞ、どこに行っても同じだだとか、逃げているだけだとか、まあその様な厳しい意見を頂いた。結局、そう行った事を言う人の中で外資系企業で働いた経験のある人は皆無で、妄想と嫉妬で感情任せに想像した事を言葉に発しているに過ぎない。私は自分という人間がどういう環境において生きるかということを理解しているつもりだったから、気にも留めないにしろ、自分が如何に日本社会の中で少数派であるかということをしみじみ思い知らされた。

●タイで再出発
外資系で働き始めて、準備は全て整った。行き過ぎた上下関係、挨拶、義理、そういったものは存在しない。皆ライフワークバランスを重視し、フランクで、必要以上な関係を嫌い、仕事上のみでの付き合いを好む。まさに望んでいた環境を手に入れたのだ。雇用形態は契約社員。結果が出なければクビもありえる。その分インセンティブ制度も充実しており、モチベーションを保つには十分な一因である。今後、どうなっていくか分からない。だが、これも自分が選んだ道である。決して後悔せず、自分と同じ様な道を歩みたい人のために道を踏み固めたいと思っている。





よし雫 
自分の信じるとおりやってごらん
でもな
人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ
何が起きても誰のせいにもできないからね
 - 耳をすませば


Choose Life - John Hodge

Trainspotting
John Hodge




Choose life. Choose a job. Choose a career. Choose a family. Choose a fucking big television, Choose washing machines, cars, compact disc players, and electrical tin openers. Choose good health, low cholesterol and dental insurance. Choose fixed- interest mortgage repayments. Choose a starter home. Choose your friends. Choose leisure wear and matching luggage. Choose a three piece suite on hire purchase in a range of fucking fabrics. Choose DIY and wondering who you are on a Sunday morning. Choose sitting on that couch watching mind-numbing sprit- crushing game shows, stuffing fucking junk food into your mouth. Choose rotting away at the end of it all, pishing you last in a miserable home, nothing more than an embarrassment to the selfish, fucked-up brats you have spawned to replace yourself. Choose your future. Choose life... But why would I want to do a thing like that?

2013年10月17日木曜日

水五訓 - 黒田官兵衛


一、自ら活動して他を動かしむるは水なり
二、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
三、常に己の進路を求めて止まざるは水なり
四、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり
 五、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり、雪と変じ霰と化し疑っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を失わざるは水なり
-黒田官兵衛

2013年10月11日金曜日

向日葵の咲かない夏

「僕だけじゃない。誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか。自分だけの物語の中に。その物語はいつだって、何かを隠そうとしてるし、何かを忘れようとしてるじゃないか。」-中略- 「みんな同じなんだ。僕だけじゃない。自分がやったことを、ぜんぶそのまま受け入れて生きて行ける人なんていない。どこにもいない。失敗をぜんぶ後悔したり、取り返しのつかないからみんな物語をつくるんだ、昨日はこんなことをした、今日はこんなことをしてるって、思い込んで生きてる。見たくないところは見ないようにして、見たいところはしっかりと憶え込んで。みんなそうなんだ。僕はみんなと同じことをやっただけなんだ。僕だけじゃないんだ。誰だってそうなんだ。」

2013年6月29日土曜日

タイで働き始めて半年が経って思うこと〜何故日本でまず3年か?〜



新卒で入った会社を半年で辞め、タイに飛んでからはや半年。既に日本での勤務経験よりタイでの勤務経験の方が長くなってしまった。
そん中、タイで半年働いて分かったこと、特に、何故アジア就職関連の記事等にはまず日本で3年働けといった文句が蔓延っているのかということについて自分の意見をまとめておきたい。

-日本とタイで働いて得られるものの違い-
まず、日本で働いた時に得られるスキルと、タイで働いた時に得られるスキル経験知識には雲泥の差があるということだ。

一般化してしまうと、日本の社会人とタイの社会人では月とスッポンの差がある。それは単純に時間を守るとか、責任感があるとか、そういった次元の話ではない。
例えば営業という職業を例に簡単に言ってしまうと、タイ人営業はどの会社でも単なる物売りにしか過ぎないが、日本人営業はどこ会社に行っても大抵ソリューションを提案できるのだ。
例え売っている物が鉛筆だとしても、日本で勤務経験のある人間はその商品に対して知識を豊富に持ち、顧客の要求を聞き出し、適切なモデルを提案することができる。これはまぎれも無いホワイトカラー層の仕事である。しかしながら、タイ人営業は本当に、純粋に、単なる物売りなのだ。それはむしろホワイトカラー層の仕事と言うよりブルーカラーの仕事ではないか?と思う程ある。顧客より引き合いを受けたら、言われたものを出すだけで、特に提案もせず、価格を出すだけである。価格が高いと言われればそれまでである。価格表や提案書の作成ができるのは相当優秀なタイ人でも多くはないだろう。そういった文化がないし、何故それが必要であるのかが分からないからだ。

日本等の先進国はビジネス文化が成熟しており、あらゆることに対してルールが決まっている。提案書と言われれば大抵の日本人はどういった物を作成すればいいか相互の暗黙の了解があるが、タイにはそういった文化は根付いていない。
もっと例をあげれば、日本人営業は例えば営業のことだけではなく、社会や会社の仕組みをよく知っているし、むしろ営業の仕事だけではなく例えば購買や、経理等の知識を持っている人も少なくなく、それを営業の仕事に生かすことのできる人も多くいる。ビジネスの考え方が蓄積されており、それが非常に浸透しているのである。

何が言いたいのかというと、日本等の先進国で働くということは、世界のビジネス界で戦って行ける十分なスキル経験知識を得られるということである。日本に関しては世界トップクラスだと断言できる。タイという国で5年働いたとしても、身に付くものは日本のコンビニでバイトをするよりももしかしたら少ないのかもしれない。それほどタイの社会人というのはブルーカラー的な要素が未だ強いのである。

-何故日本で3年か?-
アジア就職に関して、まずは日本で3年働けという文句をよく見るのは、つまりこういうことだ。タイで働く3年と日本で働く3年は身に付くものの次元が違う。
幸い、アジアで日本人が働く企業は日系企業がほとんどであるから、日本で働くのと変わりないものを得ることができる。先輩社員に「タイではここは適当になっているけど本当はこうじゃなくちゃいけないんだ」と言ったことを教えてくれる。そもそも日本人同士のビジネスでは「本当はこうなんだけど、タイだからいいや」という暗黙の了解が数多くあり、タイでしか勤務経験がなければそういった暗黙の了解にも気づく事ができず、それを教えてくれる人がいなければはやりビジネスマンとして得られる物は少なくなってしまうだろう。

-アジア就職をどう考えるべきか?-
結論から言えば、アジア就職でも日系企業及び先進国系企業で働くのであれば新卒からでも全く問題ないと考えている。それはいくらタイとはいえ日系企業同士の取引は日本のビジネス文化が自然と適応されているし、タイで育ったタイ人がタイ企業で働くのとは訳が違うからだ。
日本で3年働いてからという方がよりベターだとは考えるが、25,6歳でタイのアジアの給料で満足できるか?という所に論点は絞られると思う。世界で終身雇用という考えは皆無なのだから、まずアジアに出て、国際的な場で働く感覚及びセンスを身につけ、早々に外資系などに転職するという考え方も、アジア就職にはあって然るべきだ



2013年6月24日月曜日

誠実さ(Sincerity)に欠ける日本人たち


私は物心ついた時から自分に正直に生きて生きてきたつもりである。
嫌なことは嫌だと言って、間違ってることは間違っていると言って来た分、随分と損な人生を送って来たようにも思えるけれど、自分の感情や意見を人に強制させられるぐらいならその方がマシだと思って生きてきた。
特に日本の様なハイコンテクストかつ集団主義を重んじる社会では、納得いかない事柄に関しても「そういうもんだから」とか「今までそうやってきた」等の理由で議論すらを拒否されることが数多くある。 

中学生の頃、英語のテキストの中でSincerityという言葉に出会った。辞書には「誠実」との訳。
当時は何の疑問も持たずSincerity=誠実と丸暗記していたけれど、英語を通し英米の文化を学ぶにつれ、それは日本における誠実という意味合いからは掛け離れているものだということを理解した。
掛け離れているのも当然、日本語という言語にSincerityに近い言葉は存在しなかった。最も近い言葉が「誠実」であるためそれが便宜上訳語に用いられているだけだ。(もっとも全ての言葉がそうなのだけれど)

 その違いを辞書の定義を見ながら説明してみよう。 まず誠実という言葉を国語辞典で引くと以下の定義が出てくる。 
 せい‐じつ【誠実】 [名・形動]私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。「―な人柄」 

  一方で、Sincerityの定義はおおよそこうである。 
  sin·cer·i·ty [sin-ser-i-tee]noun, 
 "freedom from deceit, hypocrisy, or duplicity; probity in intention or in communicating; earnestness. "
 (欺瞞や偽善、二枚舌からの自由な状態。コミュニケーションにおいて正直で真剣な意思があること)

もっと分かりやすい定義で言えばこうである。
 "Sincerity is the virtue of one who speaks and acts truly about his or her own feelings, thoughts, and desires."
 (自らの感情、考え、希望について何ら偽りもなく話すという美徳) 

誠実という言葉が私利私欲をまじえず、つまり自らの感情や意見をこれ見よがしにひけらかさぬという点が主要なポイントになっているのに対して、 Sincerityという言葉は何がどうあろうと自らの思った事を話すという点に主眼がおかれている。
つまり、誠実という言葉には「彼は接客中 客に暴言を吐かれたが、誠実に対応した」といった様に、自らを押さえながらも 平常心を保ち真面目に物事に打ち込むというニュアンスがあるのに対し、 Sincerityには「彼はクラスメイト全員から非難されたが、自分の気持ちに誠実であった。」 などという様に、例えそれが間違いでも悪いことでも自らの心情に正直にいるという美徳こそがSincerityの胆そのものなのである。誠実という言葉とは正反対と言っていいほど掛け離れている概念であることが分かるだろう。

 私はこの概念を知ってからより強く自分にSincereでいようと心に決めた。 会社で半ば強制的な飲み会に誘われようとおかしいと思えば断るし、お酌はしたくないからしない。 お酌をすることが、自分に対する裏切りであり、偽善であるからだ。 例えお酌をしないことでいくら暴言を吐かれようとも、自分の心にもっと正直に生きることが、自分にとっての幸せだと感じている。 日本語にはこのSincerityという概念が存在しないため自分をないがしろに生きがちだが、 日本人はこの概念を理解し自分の為に生きる人がもっと増えても良いのではないだろうか?もっと自分を犠牲にせず、正直に、人に迷惑をかけても自分に誠実に生きるべきなのではないだろうか?
「人に迷惑をかけないように生きる」という日本のお決まりのフレーズよりも、「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから人を許しながら生きなさい」というインドの諺の方が身にしみる。

明日からももっと自分に正直に生きたい。 

(画像訳:君がどんなにこの二匹のクマが愛し合っていると"誠実"に思っていても、君は間違っている。例え君が"誠実"でも。だってクマは生きてないから。)

2013年6月15日土曜日

アジア現地採用という"意味"


現地採用という言葉は、日本語にしかない。それは、日本という文化の文脈の中で生まれた言葉だからだ。海外にある日系企業を頼り、その現地で雇ってもらう。こういった社会背景の中から生まれた言葉だ。
その言葉通り英語に訳せば、local hireとか、local employeeとかになるだろう。
しかしながら、現地採用という言葉には、特に「アジア現地採用」には多くの言外の意味、含蓄(Connotation)がある。 

というのも、アジア現地採用とは発展途上国に日本より格段に低い給料で就職することを暗黙の了解としているのだ。
それが現地採用という言葉が持つ「言外の意味(Connotation)」である。 
アジア現地採用にマイナスのイメージが伴うのはこのためだ。

@mota2008さんの「もりぞう海外就職紀行」によれば、
アジアでのそれぞれの新卒の給与は、
タイ...                13~14万
ベトナム...        12~14万
インドネシア...12~16万(+住宅手当5万程度)
マレーシア...    13万
シンガポール...18~21万
香港...                15~25万

となっている。
シンガポールや香港においては、条件によっては新卒で20万を超える可能性もあるため、「所謂アジア現地採用」という含意の範疇からは少し外れるかもしれない。

一般的な感覚から言えば、こんな低い給料で働くなんてありえない。となるのだろう。無論、シンガポール香港以外では、現地人からしたら相当な給料になるわけだが...。

だからといって、ずっとこの給料のままではない。
アジアでも当然転職してキャリアアップという風潮があるため、
実力があればどんどん上に這い上がることは可能だろう。
タイベトナムなどで最初働いていても、経験を積んでシンガポール等に就職し、日本並の給与に戻ることは可能だ。もちろんヨーロッパ等の先進国で就職すれば日本以上の給与を得られることは言うまでもない。

僕は今の段階では3年~5年の間はタイで働き、次はシンガポールで働いてみたいと思っている。
つまり、この数年の間低い給与で満足できるか?という話である。

答えはイエスだ。給与に関して言えば、物価を考えれば十分な生活ができる。家賃は二万弱からあるし、屋台を使えば一食70円程度だ。貯金は十分にできると考える。
それに、お金のためにタイに行く訳ではない。海外で働きたいから、海外でキャリアを積みたいから行く訳である。
僕にとって、日本で働いていた期間はギャップイヤーだった。これからが自分のやりたいことをやる人生であって、日本で働いていた期間はいわゆる学生のギャップイヤーのような感覚だったのだ。
これからが本番である。

やりたいことをやって、お金を貰って、海外でのキャリアを積める。最高じゃないか。
時々、何故ヨーロッパではなく、アジアなのか?と聞かれることがある。それはアジアが好きだからという理由もあるが、やはり最大の理由はアジアが発展しているからである。21世紀はアジアの時代である。
 経済が落ち込んで来ている日本とは違い、アジアはバブルだ。日に日に成長している中で生活し、仕事をするというのは相当の充実感があるだろう。
要は考え方だ。まずはやってみなければ分からない。
 
 


 




2013年6月9日日曜日

タイ現地採用の給料とキャリアパス


タイでは外国人の為の最低賃金というものはありませんが、労働許可証等を更新する際の基準として以下の通り所得水準が定められています。
 
 No. 国籍 最低所得(月)
1 ヨーロッパ諸国(ロシア除く)、オーストラリア、カナダ、日本、アメリカ 50,000バーツ
2 韓国、シンガポール、台湾、香港 45,000バーツ
3 アジア諸国(日本、韓国、シンガポール、台湾、香港、カンボジア、ミャンマーラオス、ベトナム除く)、南アメリカ、東ヨーロッパ、中央アメリカ、メキシコ、南アフリカ 35.000バーツ
4 アフリカ諸国(南アフリカ除く)、カンボジア、ミャンマー、ラオス、ベトナム 25,000バーツ

日本国籍の場合はNo.1に該当しますので、最低給与は5万バーツ(約16万円 *2013年6月現在)になります。

基本的にタイの人材紹介会社に登録すると5万バーツ以下の求人を紹介されることはほとんどありません。
(コールセンターなどはそれ以下の給料で日本人を雇っているみたいですが...。)
 大体数年から十数年の経験のある人でも現地採用だと5万〜8万バーツぐらいですが、逆に経験がなくても5万バーツの給与は保証されていることになります。新卒でタイに就職し、 5万バーツ+残業代が1万バーツついたとして、給与は6万バーツ(19万円)。家賃は大体1万バーツ(3万円程度)のアパートやコンドに住み、食費は3000バーツ(1万円程度)ぐらいですので、何もしなければ10~15万円は貯蓄にまわせることになります。

ただ経験を積んでも日系企業だと給与は10万バーツぐらい(31万円程度)が限界(とってもタイでは相当な高給取りですが...)だと思いますので、キャリアパスとしては2~5年程度経ったら外資系に転職するのがベストかなと思います。

やはり外資系ではタイでも10~15万バーツ(31~47万円)の給与を出しているとこが少なからずある様です。(というよりタイ人でも日本語ができる経理担当だとこれぐらい貰ってる方もいますが...日本人は英語ができないので高いお金を払っても日本語ができるタイ人を雇う他ないのかな?とも思います。)
話は少し脱線しましたが、タイで10~15万バーツの給料があれば割とゆったりとした生活が保証されると言えるでしょう。子供が2人いるとかなら別ですが、コンドミニアムも買えますし、タイには固定資産税も相続税もありませんのでお金の心配はまずなくなるかと思います。

結論として、将来外資系やシンガポールでの就職というキャリアパスがあれば、はっきり言って新卒でバンコクで働くことは全く悪くないのではと思います。逆に将来はずっと日系企業に頼って生きて行くという考えですと、なかなか「現地採用」という日本独特の枠組みから逃れられません。
日系企業では未だ駐在員で上のポジションが固められていますので、外資系を将来のキャリアに見据えておくことは必須だと考えています。
タイという海外に来てまで日本にすがって生きるのもなんだかかっこ悪いですしね。

とまあ、ざっと感じていることを書いてみました。


 




2013年5月30日木曜日

タイ人の英語発音



どうもこんにちは。チョンブリーおじさんです。

タイで働き始めてから半年が経ちましたが、仕事でタイ人と英語で会話してくる中で、タイ人の英語発音のルールが段々と分かってきたのでここにメモ代わりとして書いておきたいと思います。新しいルールが発見できたら随時追加する感じで。
 
1. 語末の子音が無声音化

まず初めに触れておかなければならないのはこれでしょう。
簡単に言えば、語末の子音が聞こえないということです。
例えば、
Smart............スマーッ
Next.............ネクッ
Microwave...マイクロウェ
と言った具合に。なので、MacもMaxもMatもMadも全て「マッ 」になります。I don't like spicy foodは「アイ ドン ライ スパイシー フー」です。日本人には相当難易度の高い英語発音と言えるでしょう。

正し大事な事は、決してタイ人が語末の子音を発音していないということではないということ。言語学的に言えば語末の子音を無声音化するという調音を行っている訳で、日本人はその調音を聞き取れないだけです。英語話者であれば多少は聞き取れます。タイ人の発音がおかしいという自らを棚に上げた考えはおやめなさい。

参考までに語末の子音の無声音化について、
 タイ人英語を考察する―勘違いマクマークな使い方(http://www.sabai-life.com/thaieng.html)
が面白い例を記述していましたので紹介します。 

「イエッタデー」⇒「イエスタデー」
「アイッティー」⇒「アイスティー」
「スゥパイ」⇒「スプライト」
「ロイエン」⇒「ロイヤルガーデン」 ※デパートの名前
「マイッ」⇒「マイクショッピングモール」 ※デパートの名前
「センタン」⇒「セントラルデパート」 ※デパートの名前
「ウォーキンッ」⇒「ウォーキングストリート」
「テェクシィー」⇒「タクシー」

「ディスコォー」⇒「ディスコ」
「ヤクゥン」⇒「ヤクルト」

「エース」⇒「エイズ」
「カスィノー」⇒「カジノ」
「フッボン」⇒「フットボール」
「キスマス」⇒「クリスマス」

タイにきて一番驚いたのはアイスクリーム...アイティムですかね。。
タイ人「アイティム食べる?」
私「えっ」
タイ人「アイティム」
私「えっ」
って感じでした。

2. SHとCHの違いの概念が強く認識されていない。
タイ語ではSHとCHの違いがほとんどないと言ってもいいでしょう。CHはSHの音で代用可能です。つまり「シ」と「チ」が同じ音です。これはフランス語も同じだと聞いたことがあります。英語でもイギリス系の英語を喋る人は違いが微妙になっています。

例を挙げますと、
Chocolate...ショコレーッでもチョコレーッでも可。
Chin...シンでもチンでも可。

英語では「そうです」と言う時、「チャイ」という言葉を使いますが、「シャイ」と言ってもまず通じるでしょう。タイ人には「あれ?なんか変だな?」と思われるかもしれませんが、SHとCHと区別が無いので通じてしまうのです。これは日本人がSH音とS音とTH音の区別が無いのと同じで、シンガポール、シィンガポール、Thィンガポール、どれで発音しても通じてしまうのと同じことです。当然ですがポンガポールと言っても通じませんよね。これは日本語ではSH音とP音で意味の区別があるからです。

3.語尾のL音はN音へ

実はこれ、広東語でも同じなのですが、語末のL音がN音になります。
例えば
Hotel...ホテン
Ball...ボーン

これはタイ語のLを表す文字が語末に来るとN音に変化するというルールがあるからで、そのタイ語のルールをそのまま適応しているからこうなるんです。
タクシードライバーに「ホテル」と言って通じない場合は「ホテン!」というといいかも。

同様にS音が語末に来た場合にもT音になることがあり、
例えばHouse...ハウッ とかになったりします。

4.二重母音は長母音へ

これは日本語でもそうなのですが、ouがooに、eiがeeなどに変化します。
ですので、
Homemade...ホーメー
boat...ボー
goal...ゴー
gate...ゲー
gay...ゲー

特にHomemadeなんて最初言われた時は何回聞いてもわかりませんでした。。語末の子音が消えるのみならず、こういったタイ語特有のルールが二つ重なった時は今でも相当苦労しています。



大体今ざっと考えるだけで特に重要なタイ人の英語発音はこれぐらいだと思います。間違えている点がありましたら是非教えて下さい。
また新しいルールを発見し次第また追加していきますが、実はそれほど難しいものではありません。
タイ人の英語発音と同等に日本人の英語発音も聞き手には難しいものです。タイ人の英語発音は分かりにくいという人がいますが、自らの英語力の無さをおおっ広げに自慢するのはやめましょう。

では。


 




2013年2月3日日曜日

僕の考える英語学習


英語学習に関してはおびただしいほどの学習指南書が世に蔓延っていて、更に専門家がそれぞれ好き勝手なことを言っている。本屋に行けば「英語は前置詞だ」とか、その隣には「英語は動詞だ」とか、「英語はこの100のフレーズを覚えれば喋れるようになる」とか、売れるためだけのセンセーショナルな題名が目立つ。もちろん、そういうのは全部嘘だ。売りたいがためにそういった嘘をついているのである。そういった類の本は、楽して言語を喋れるようになりたいと思う人ホイホイなので注意。

この記事では、自分の経験を参考に、どういう英語学習が一番効果が発揮されるのか?ということを淡々と書いていきたい。

1.リーディングの向上
僕は音読主義者だから、もしくは恩師が音読主義者であったから、中学校の頃の教科書は何度も音読して覚えた。厳密に言えば覚えたのではない。 音読をしすぎたので、冒頭の数語を口に出すと歌の様に次々と言葉が出てくるようになっただけである。そうして「体に染みついた」ことで、英語のリズムや、 鼓動、息づかいが段々分かってきた。文法問題は圧倒的に得意になった。一つ例を挙げたい。例えば、「Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister, ・・・」という文を音読で覚えたとする。そうすると、「Aliceという三人称の次に来るのはwasであり、wasの次に来るのは動詞の-ing形であり、beginの次にはtoが必要で、「疲れた」を表すのはget tired・・・と言った文法規則或いは英語の言い回し、無意識の中で体の中に染みこませることができる。この文を吸収した者は、*Hanako were…とか*She was buy…などのような、全く別の文章の中でも、間違いをすることが少なくなる。体に染みこんでいる文章が多ければ多いほど、「英語が分かってくる」のだ。 音読して多くの英語の文章が体に染みついている人には、英作文などのアウトプットも容易いことになる。体に染みついている文章を少し変えたりするだけで文 章が書けてしまうからだ。
大量の文章を読みこんでいればいるほど、自然と間違った英文に対して違和感を持つようになる。大量の文章を読みこんでいると、英文法の本には決して載っていない、ネイティブが感じる目に見えない心の文法が分かってきて、英語の名文などを読んでも手に取るように文章を感じることができる。
僕自身は高校時代に総合英語 Forest(フォレスト)を片っ端から頭の中に叩き込み、英語力向上に大いに役に立った。文法はことばの骨組みだから、文法が分からなければ文章がまるで入ってこないからだ。
ただ、一つだけ盲点だったのは、フォレストなどの英文法書には、その文法が醸し出す独特のニュアンスの説明がない。これでは心の琴線に触れるような名文を楽しむことができないし、言語を数学のパズルのように感じていてもしょうがない。
音読で使う文章のレベルを少しづつあげていけば、同時に英単語を覚えることもできるし、文法の細かなニュアンスも分かってくる。それほど、音読は素晴らしい言語学習方法のうちの一つなのだ。

2.ライティングの向上
日本の英語教育では、ライティングやスピーキングの能力を上げることが非常に難しい。これは、学校に頼らず、全て自分でやらなければならないと言っても過言ではない。ライティングの力を伸ばす一番の方法は、自分で英文を書いて、それを添削してもらうこと
だ。音読で培った英文の引き出しを、ここでアウトプットすることになる。英文を書く際、自分のインプットが足りない場合は、英辞郎などを参考にして書くと良いだろう。豊富な例文があるので、文脈にあった単語や熟語を選びやすい。
しかしながら、添削してもらえる人や機関があるというのは非常に恵まれており、ほとんどの人はそういった環境にはいないかもしれない。そういう時には、自分の英語をネットユーザーが添削してくれるLang-8を利用すると良いかもしれない。また他の例としては、他人のライティングを片っ端から書いて音読し、自分のものにしてしまうことだ自分の中の英文の引き出しが多くなれば多くなるほど、ライティングは楽なものになっていく。

3.リスニングの向上
リスニングの向上には、英語の発音の仕組みを知ることがまず重要かも知れない。例えば、Did itをディドイットではなくディディットと組み合わせで発音するリエゾンや、Letterのttが上あごを舌で叩くような音に変化することなどだ。
しかしながら、もっと重要なことがある。
そもそも読んでわからない英語を聞いても分かるわけがない。ここが多くの人が陥っている罠ではないかと思うのだが、圧倒的なインプットがあれば、文脈の推測や、文法力、決まった言いまわしを知っていることで、ほとんどのリスニングはできるだろう。よく、『発音できない音は聞き取れない』などというが、これは実は半分当たっていて半分はずれている。確かに発音できない音は聞き取れないが、先ほどの文脈の推測などの力でリスニングをカバーできているのだ。その証拠に、Good morningは、多くの場合、Goob morningと発音されている。日本人のほとんどがその事実に気付かないが、Good morningと脳内変換し、聞き取れているではないか!

4.スピーキングの向上
これもまた、日本における英語教育では非常におろそかにされる分野であり、ほとんどの日本人が苦手とする分野だと思う。これもまた、添削してくれる人がいつも傍にいればいいのだが、中々そうはいかない。だから、自分なりに『環境問題について今から喋ってみよう』などして、言いたいことが言えないなど詰まった時に、辞書を引いて言いたい表現を覚えていくという方法が結構有用だと思う。
また、ライティングの向上と同様だが、有名な人のスピーチやインタビューを全て丸暗記してしまうというのも手だ。これでスピーキングの言いまわしのストックが増え、スピーキングに強くなることができる。
僕がアウトプットに関して言えるのは、子供のようにネイティブの表現を丸パクリしていくのがベストではないかということだ。そうして表現を覚えていく中で、自分で自由に英文を作っていくような力が自然とついてくるのである。

5.発音の向上
発音はどれだけ歳を取っていても絶対によくなる。成人した日本人が英語の発音を習得するのは不可能だ、という話を友人などからたまに聞く。しかし、発音(完璧ではないにしろ)を習得する方法は確実に存在するし、ないというのなら、19世紀からの歴史を持つ調音音声学に対する冒涜ではないのか。その方法とは、簡単に言えば、調音位置・方法に基づきながら、発音の基礎を徹底的に固めることである。聞いてすぐ発音できるようになるというのは、並大抵の業ではない。中津燎子は、著書「なんで英語やるの?」の中で、恩師であるJ・山城氏に受けた発音レッスンの事について綴っているが、彼の一番初めのレッスンでは、アルファベットの「A」の練習から始まり、結局1時間中「A」の練習のみで終始したそうである。これは、映画「My Fair Lady」の中で、言語学者ヒギンズ教授が訛りのひどい花売り娘イライザに容赦ないやり方で発音矯正をしたのとなんら変わりの無いことではないか。同じ言語を話すイギリス人でさえ、別のアクセントを習得するのは並大抵の努力が必要なのである。
この明白な例から、赤ん坊の様なスポンジの脳を持っていない私達は、やはり発音も徹底的に学ばなければならないという事がわかる。ある種の天才を除き、成人した人間が外国語を聞き流すだけで発音ができるようにはならないのだ。しかし、訓練さえすれば、相手の理解を妨げない程度の発音にまでは、誰でもできる。その方法とは何か?
まず、発音記号とその音声の結びつきを学ぶ。英語はスペリングと発音が一致していないことが多いから、発音記号の学習は必須である。そもそも、日本語の「あ」に相当する音が英語にいくつもあることを、訓練なしで聞き分けられる人がいるだろうか。
書店に行けば、発音記号の説明と、英語の母音と子音、そしていくつかの単語の発音を収録しているCD付きの本があるから、それを買うか、インターネットで検索すればそういうサイトはいくらでも出てくる。まず「a」から始めるのだ。一回聞いて終わりではない。英語で使われている母音は全て日本語にはないものだ。毎日何回も聞いて、何回も発音し、できたと思ったら自分の音声を録音して自分で聞いてみて、CDと同じだったら合格だ。母音と子音が終わったら、後は単語である。日本語話者は英語の単語に母音を 挿入する癖があるので、「Dog」とか「Cat」の語末の子音を発音できるようになるまで何回も練習するのだ。これが終われば、実際の文章の発音の練習に 入る。ここまで来ると、発音の例外のパラダイスである。Good morningの発音が、Goob morningと発音されていても、うろたえてはいけない。例外は永遠に終わらないのだ。
発音が良くならないのは、正しい勉強法で発音を勉強してないからだ。リスニングを10000時間しても、発音は一切よくならない。理由は明白で、発音の練習をしていないからだ。聞き流しで発音が良くなるというのは甘ちゃんの考えであり、怠惰な人間が為し得るどうしようもない行為である。


 




2013年1月29日火曜日

僕が英語に関して思うこと

英語という言語は、日本人や日本にとって特別な意味を持っていると思う。近年最も忌み嫌われ、最も議論され、最も注目されているカテゴリーの一つかも知れない。
英語という言語が好きで一生懸命勉強してきた自分にとっては、思うことは多々ある。だから、どうしたら英語ができるようになるのか?という事柄について、少し綴っておきたいと思う。

1.はじめに
僕は決して人様に比べて圧倒的な英語力を誇っている訳ではないけれど、少なくともこの中高大では英語ができると言われてきたし、今はバンコクで毎日英語を使って仕事をしている。今まで英語が苦手な人には多くのアドバイスをしてきたし、それは間違っていないと信じている。
でも勿論、僕のアドバイスが全てではない。僕のアドバイスは貴方の英語学習の為のヒントに過ぎないのであって、直接的な解決にはならない。
野球がうまくなりたいからと言って、全員がイチローのバッティングフォームを真似すれば良いという話ではない。イチローのバッティングを見て、イチローが持っている『コア部分』を盗み、それをヒントにするのだ。
そんな感じで、各自がキャリアを積んでいく中で『自分のフォーム』を造り上げていく。
だって、考えてもみて欲しい。野球素人の無知な暴言であることを承知して言うのだが、日ハムの中田翔のバッティングフォーム、ありゃなんだ?
正解はない。人それぞれなのだ。

2.どうすれば英語は上達するのか
「どうすれば英語が上達するのか」という質問は、何回も受けてきたし、何回もした。大体、僕自身がどうすれば新渡戸稲造の様な英語力を付けることができるのか知りたい。そんな未熟な自分でも、今までの個人的な経験から、英語が上達したいけれどどうすればいいのかわからないという人の為に、いくつかのコツを紹介してみたい。

2-1.語学学習に王道なし
一つ、語学学習に王道はないと肝に銘じておくことだ。2週間で英語がペラペラになるような事は決してないし、そういった宣伝文句に騙されてはいけない。しかし、人は何故そういった扇情的な文句に惹かれてしまうのだろうか。それは、「時間も労力も少なくて済みそうだから」である。しかし、語学学習はその真逆である。語学学習とは茨の道である。語学学習とは体育会系の頂点であり、臥薪嘗胆の思いで励まなければならない。語学学習とは筋肉トレーニングのようなものであり、短時間でその目的を達成することはできず、辛い思いもするものだ。2週間でボディビルダーのような筋肉を得ることはまずできない。それと同じことである。だから、毎日英語のトレーニングを一定期間せずして、英語が難しいなどと口走ってはいけない。かと言って、一日5時間勉強して成果が出ないからと言って、英語が上達しないと嘆いてはいけない。語学学習において、自分の語学力 の向上を実感するのは難しい、それは緩やかな坂道の様に伸びていくためである。しんしんと積もる雪の様に伸びていくためである。しかしある地点で振り返る と、意外と自分は登ってきていることに気づき、自分の背丈よりも高く積もっていることがわかる。人は誰も山を登りだして5分から「頂上はまだか」という人 はない。一歩一歩地道に歩いて、気づくと中腹まで来ていて、気づくと山頂の一歩手前までいるものなのだ。重要なのは、歩くのを辞めないことである。ちなみ に、語学の頂上はない。英語が喋られるようになりたいからと言って、容易に語学留学をするのは、自らの弱い意志の現れである!
日本においては、「英語圏に語学留学すれば英語が喋れる」という話がまかり通っている節がある。何故そう思うのだろうか?確かに英語圏に語学留学にすれば、英語と接する機会が増える。人々が話す言語や、メディア、文書、お店の看板も、何もかも英語である。だから、「勉強しなくても」自然と英語が喋られるようになるという計算のようである。しかし、はっきり言って、現地に行ったからと言って英語が喋られるようになるわけではないし、しないからと言って英語が喋ることができないということは決してない。意欲的で、モチベーションが高い人が現地で勉強することが最大の効果を得る事ができるのだけの話なのだ。どこに居ようとも、例えば知らない単語を調べる、聞くという行為は、結局自らの意思にかかっているのであって、英語圏にいれば勝手に知らない単語の意味が分かるようになるという事はない。語学学習は、受身では向上が見込めない。日本にいる外国人が驚くべきスピードで日本語を覚えていくのは、彼(女)らの語学に対する態度が恐ろしいほど能動的だからだ。能動である事が能力向上に繋がるし、留学の効果もそれで最大限に発揮される。インターネットが発達した今、英語を学ぶ動機、機会、教材はありふれている。使い用によっては、留学以上の英語力の向上が期待できるのだ。
ただ、とは言っても、英語圏への留学経験は何にも代えがたいものである。現地に行かなかった人には決して得ることのできないものがある。それは英語圏における異文化体験であり、知見の深化である。そしてこれは、英語を喋るよりもしくは同等の価値があり、これからの英語もしくは異文化、英語圏文化学習への動機付けになることは間違いない。これだけは、日本に居るだけでは得られないものだ。


2-2.英語を楽しむ
もちろん英語学習は辛いことばかりではない。文法と語彙の学習で終わる英語学習なんて、退屈極まりないし、ただの拷問である。英語はことばだ。楽しまなければ、死んでしまう。
例えば、下の文章を読んでみてほしい。これは、Urban Dictionaryというサイトからの引用である。このサイトはネットユーザーが単語の定義を自由に書き込むことができるサイトで、非常にユーモラスな定義がたくさんある。
boobs
1. The softest, squishiest, warmest, most perfect thing imaginable. And guess what? They come in pairs :)
2. The cause of all of life's problems.
3. The solution to all of life's problems.
1. She led my hand to her boob, and I had a new best friend; soon I had a new second-best friend.
2. She flashed her boobs and caused that car crash.
3. ...but once I touched her boob, I forgot all about her face.
suicide wank
1.When your having a wank, just before blow the load, shout out "Mom" or "Dad", then try and finish the job before they get into your room!
a friend tried a suicide wank and won!!! he did it and failed the second time!!
それほど難しい単語は使われていないので、是非辞書を引きながら読んでみてほしい。ちなみに下ネタだ。
またThe Onionというアメリカ版虚構新聞
からも引用したい。このサイトは一見ニュースサイトのようであるが、すべての記事がデタラメである。


f:id:Kamppi:20110824184210j:image
Bodybuilder Can’t Believe He Forgot To Develop Right Arm
見出しはつまり『ボディービルダーが右の腕をトレーニングするのを忘れた』と言っているのだ。
このように英語はそんなSVOとかSVCとかそんな狭い世界では生きていない。
生きている英語に触れると、言葉に対する親近感が沸く。
英語上達には、英語という言語そのものやその背景にある文化を楽しもうとするのが良いかもしれない。英語圏の映画やドラマに興味を持つとか、ネット上で英語でしか発信されていないiPhoneの最新情報や、自分の専門分野の論文が読みたいとか、日本について英語で書かれているサイトが読みたいというのもそういったことでいいのだ。

3.ネイティブ信仰をやめろ
英語学習の際には、ネイティブ並みになることを目標としないことだ。何故なら不可能に近いから。ネイティブの発音だって真似しなくても良い。そもそも世界中で公用語として使用され、無数の方言、アクセントがある中、正しい英語の発音という定義がそもそもおかしいのだ。以下のリンクを見ていただきたい。いわゆるスコットランド人が喋るスコティッシュアクセントと呼ばれるものだが、はっきり言ってこの発音ならジャパニーズアクセントも悪くないと思えてくるのではないだろうか?


更に、英語は有史以来初めて事実上の世界共通語となりつつなる言語である。 アメリカやイギリスだけの言語ではない。世界で最も英語を話す民族は中国人である。 シンガポール人は英語を自らの文化に吸収し、シングリッシュと呼ばれる方言を確立した。 インドも同様である。 こうなってしまえば、世界共通語である英語に対して正しさを求めること自体がおかしな話なのであって、リラックスして英語に挑めばいいのだ。アメリカ人の様に舌を不自然なほど丸めてRを発音する必要はない。日本人は日本人らしくサンキュー!とか、エクスキューズミー!とか言えばいいのだ。 私は今バンコクにある日系企業で働いているが、日本人タイ人含め英語はめちゃくちゃである。でも必死に英語を使ってコミュニケーションを図っているし、それで会社が成り立っている。 なぜここまで怖気ずに話せるのか? それは、我々が英語をアメリカの言葉ではなく、社内の共通語として認識しているからである。 意思伝達のために英語を使っていて、発音や文法などくそったれであるからだ。 英語くそったれ。ネイティブくそったれである。

 4.軽いまとめ 
f:id:Kamppi:20110824192028j:image
多くの人が、今自分のやっていることは意味があるのか?とか、これよりももっとやるべきことがあるとか考えているかもしれない。でも、語学学習には無駄なものは何もなくて、すべて必要なものだから、長い目でやらなければならない。すぐ結果を求めても、到底無理な話なのだ。 僕は語学力は以下のようにして伸びると思っている。 つまり、最初はいくら勉強してもなかなか伸びないのだ。でも、我慢して勉強を続けていると、突然爆発的に英語力が伸びるときがある。その後一度スランプに入り、また爆発的に英語力が伸びるのだ。 『最初はいくら勉強してもなかなか伸びない』理由は、このようにして説明することができるかもしれない。 つまり、自分のレベルが1では、スライムf:id:Kamppi:20110824191008j:image:mediumしか倒すことができず、よって経験値もせいぜい5ぐらいである。しかし、自分のレベルが70ぐらいになると、キングスライムを倒すことができるようになり、経験値は1000を超える。自分がレベル1の200倍の経験値を一瞬にして得ることができるのだ。これが、『爆発的に伸びる英語力』である。f:id:Kamppi:20090925104041j:image:medium初級者が英語を勉強して得られる成果と、上級者が得られる成果は何千倍という単位で違うのだ。 一心不乱に綴ってきたが、ひとまず言いたいことはこれぐらいだ。 繰り返すが、これらのアドバイスは絶対的なものではない。ヒントである。
自らの英語学習や語学学習のヒントになれば、幸いだ。


 




2013年1月17日木曜日

日本人は本当に英語が話せないのか?


 タイで働き始めてから、既に1ヶ月経った。
 海外で働くとなると当然事実上世界共通語である英語を使用せざるを得ない訳であるが、
今回はその日本人の英語について書きたいと思う。

言うまでもなく、私の会社は日系と言えど英語が全社員の共通語であり、ミーティングに一人でも日本語及びタイ語を解せない人がいれば自然と英語で話すことになっている。

それは日本語及びタイ語を解せない人がいるからしょうがなく英語を使っているに過ぎない訳で、わざわざ日本人同士で英語を話すことを強制させるという非効率極まりない方針を打ち出す某大企業は馬鹿げていると声を大にして言いたい。
必要に迫られれば英語を話すだけの話である。
ホンダの伊東孝紳社長の言うとおり、「(中略)英語が必要なやりとりは英語でやる。時と場合によって使い分ければいい」のだ。(出典URL:http://www.sankeibiz.jp/business/news/100723/bsg1007231827005-n1.htm)


では、果たして私の会社にいる日本人は英語がペラペラなのか?
本当のことを言おう、答えはNOである。

はっきり言って、英語が流暢だなと思う日本人はゼロだ。
そして、タイ人もゼロである。

使っている語彙など中学生レベルで、それにプラス仕事上でよく使う専門用語が加わる程度である。
中学生の頃から大好きで英語をひたすら勉強している私が英語力ではダントツでトップと過信するほどのものである。
しかし、既に陳腐化されてしまった表現ではあるが、言語はツールである。
故に、現段階では私の会社への貢献度の低さもダントツトップである。

よく考えて見れば当たり前だ。
会社にとって重要なことは利益を上げることであり、英語を流暢に話すことではない。
重要なのは発音や文法ではなく、意思伝達することである。
何を考えているか、何をして欲しいのか、伝えることだ。
どうすればノルマを達成できるのか、どう顧客に売り込んでいくかを相談することである。

そう言ったシビアな世界で、英語の間違いなどクソ食らえなことは誰も指摘しない。


厳しい競争世界の中で、そんなどうでも良いことを気にする人間など誰もないのだ。

ここは英語のクラスではなく、生きるか死ぬかの戦場だから。

社長や部長でも、拙い発音、文法で必死に意思伝達を行う。
使っているツールは稚拙かも知れないが、内容はさすがエリートの発言である。

伝えなければいけないことがあるから、必死で伝えるのである。

それを馬鹿にする人間など誰もいない。
何故なら聞かなければいけない情報だから。


ここで提言しておきたい。日本人は英語が喋れると。 
中学校から高校まで最低でも6年間英語を学んだ日本人のインプット量は自らが思っているより
多い。
日本の受身の英語の授業にはない、アウトプットの練習をすれば、仕事で使えるほどの英語などすぐに身に付く。
人が話している拙い英語でも、「なるほど、こう言えばいいのか」という学びが多く、人が人の真似をして最低限の英語が身に付くのである。


もう一つ私の会社の人間が英語を喋れる理由は、社員一人として英語コンプレックスを持っていないことだ。それは、
「は?英語とか間違って当たり前じゃん」
という暗黙の雰囲気があるからだ。


日本人の英語も酷いが、タイ人の英語も酷い。
もうみんな酷い。とにかく酷すぎる。
でも、間違えるのが当たり前なのだ。意味が分からなかったら聞き直せばいい。
大体ここはタイだし、タイ語喋れない方が肩身が狭い。
むしろ、ネイティブの様な英語を喋ると「えっなにコイツ」と思われてしまう様な節もあるぐらいである。

まとめに入りたいと思う。
日本人は英語が喋れる。世界有数の教育を受けている日本人が必要なのはアウトプットと、英語コンプレックスの払拭である。

英語はアジアの言語でなく、欧米の言葉である。攻撃的で、断定的で、高圧的だ。

そういった雰囲気はアジアには合わない。特に日本やタイの様な国では。
つまり、
英語とかもう世界共通語だし俺ららしく喋ればいいじゃん? 
 ということなのだ。

だから日本人よ、君は英語が喋れる。
「これがしたい」は英語でなんという?
「これをしてほしい」はなんという?
「これが重要です」、「明日お客さんと会う」、「3時にミーティングしましょう」
など、日本人なら誰だって文法や発音を気にしなければ喋れるじゃないか。    
分からなくても人の拙い英語を聞いていれば言い回しは覚えるのだ。
日本のサラリーマンが英語を喋れば、「こいつこんな知識を持っていたのか」と世界は驚くだろう。
英語が喋れる日本人は最強で最高だ!